下坂氏館跡(不断光院)

下坂氏館は室町時代初めから戦国時代まで続く「土豪」「地侍」と呼ばれる「村落領主」の屋敷跡です。約90メートル四方の土塁と堀に囲まれた城郭遺構が残り、建物は江戸時代の建造ですが、戦国時代を思わせる主屋や門が残っています。これほど良好に戦国時代の屋敷構えが残っている遺構は全国的に見ても例がなく、国史跡に指定されています。さらに、戦国時代の「村落領主」の屋敷は菩提寺と一体になっていたと考えられていますが、この屋敷内には下坂氏の菩提寺「不断光院」が現存しています。この点でも、全国的に類例がなく、貴重な文化財です。同院の本堂は正徳5年(1715)の建造で、古式な浄土宗本堂の形態を伝えています。表門も本堂と同じ頃の建造です。

下坂氏はもと河内の源氏で、後鳥羽上皇の北面の武士を勤めていたという。正治年間(1199~1201)基親の代にはじめて下坂の地に住みつき、その後下坂荘の地頭職を勤めるようになった。鎌倉時代のはじめ、承久の乱に先立って、後鳥羽上皇が募兵のため名越の名超寺等へ行幸になったという伝説があるが、その節、下坂邸へも行幸になり「呉竹の夜の夢路も武士(もののふ)の手にとる弓の中村の里」という歌をつくられたという。現在、屋敷の東側に接して存在する下坂家の菩提所、不断光院に伝えられている法然上人の画像は、この時に下賜されたという。(引用:長浜北高等学校歴史部)

また後鳥羽上皇の皇子、雅成親王がここで髪をそった時に西福寺より改めて不断光院へ改めたという。

住所

参考

・公益社団法人長浜観光協会