後鳥羽神社

正治元年、後鳥羽上皇が名超寺の僧禅行をたよって、潜に行幸された。そのとき末世の紀念として、御自身の肖像を木像とされ、名超寺の宝物として安置された。

応永24年(1417年)、名越村の村人はその木像を祀る後鳥羽殿を建立したが、江戸時代までに荒廃してしまった。明治7年(1878年)、明治天皇の北陸巡行の折、大津の行在所に上皇像を持参したことが契機となり、翌年には神社建設の許しを滋賀県から得ることとなった。同年、上皇像を神社本殿に迎える。

以後、神社建設を推し進めてきた宮崎清平が中心となって神社の整備が行われていく。
最も重視されたのが上皇潜幸と神社建設の由緒を記した記念碑の建設であった。
記念碑の原稿は、右大臣三条実美が題字し、文学博士川田剛の撰文を、内閣書記官巌谷修が記したものが明治19年(1886年)10月に完成していた。
健碑のための資金を獲特するため、当時の名士高官、さらには文人らに協力を呼びかけ、書画の寄付を募った。明治維新の尊王の空気冷めやらぬなかで、多くの所がを寄付された。その数は存在するもので250点に及ぶ。
寄付を寄せたのは、三舟(勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟)、大久保一翁、三条実美、松平春嶽、籠手田安定・中井弘、滋賀県令、岸竹堂などの画家も。
明治33年(1900年)頃、実際に建立された。
明治37年(1904年)に神社正面の社号碑が建立される。

現在、後鳥羽神社の宝物は長浜市立長浜城歴史博物館にて所蔵されている。
平成元年に「後鳥羽神社所蔵品展」を開催。
令和4年12月17日~令和5年1月29日に特別陳列「後鳥羽神社所蔵品展」を開催した。

住所

〒526-0824 滋賀県長浜市名越町179−1

参考

・「民俗」の創出 市川秀之著 平成25年
・後鳥羽上皇潜幸伝説プロモーション会議「後鳥羽上皇と潜幸伝説」
・近江歴史文化研究所所長 太田浩司氏作資料より