日蓮宗 霊亀山 妙立寺
(みょうりゅうじ)

京都日蓮宗本山・立木寺の末寺であり、正治元年(1198)御潜幸中の後鳥羽上皇が天台宗の祈願所として創建され15の末寺があったと伝わります。
延慶2年(1309)日蓮聖人の孫弟子である日像上人が弟子の大覚上人を伴い、北陸伝道の途中、長浜を訪れ布教をされました。
日像上人の説法を住職・檀信徒達が上人に、帰依・改宗し、荒廃していた妙立寺の再建を懇願しました。日像上人はこの地を訪れ「霊亀山妙立寺」を再建され、大覚上人を開山として定めましたが、度重なる戦火で焼失しました。当時、京都大本山・妙顕寺第二世の法灯を継いだ大覚上人は西国(備前・備中)伝道中でしたが、知らせを聞き再び訪れ当寺を再建されました。天正7年(1579)「安土法論」の法難を受け、織田信長によって伽藍は尽く灰燼に帰しました。
時の檀信徒達の発起で天正11年(1583)に堂宇が再建されました。寛政6年(1794)「村雲御所・第八世常孝院宮日照大比丘尼」(霊元天皇の皇祖孫日照女王)門跡を永代供養する事になり、祈願所となりました。
山門横の「千箇寺部屋」には、参詣者の書き残した(らくがき)が現存します。境内には、後鳥羽上皇のお手植えの「鳥羽桜」、お手洗いの井戸の岩亀水や「ご詠歌」が伝わります。

後鳥羽上皇ご詠歌
植えおきて後のかたみとなす桜は色気 妙なる法の庭もせ〈坂田郡史より〉

住所

参考

・滋賀県神社庁
・妙立寺作説明書より