真宗大谷派 誓傳寺

寺伝によると、後鳥羽上皇の勅令により建久9年に創建され、当初は「聖霊岳寺」と号し、比叡山天台宗の流れをくむ寺院でありました。その後、文安4年(1447年)蓮如上人に帰依し、寺号を「誓傳寺」と改め真宗になり、現在の本堂は天保2年(1831年)に建立され今日に至りました。
「豊菊」の出生地ともいわれています。豊菊は同寺び25代目にあたる豊重の子どもが豊菊ともいわれており、この豊重の妻の御園は治承4年(1180年)の頃上皇の乳母として仕えていました。
この縁故のために、承久の乱の前に近江へ潜幸になられた時に同寺にも遊幸されたということです。豊重は、豊菊とともに所々の行幸にお供をしました。たまたま名越の名超寺に行かれた際に豊菊は上皇のおしかりを受けてしまいました。
小心な少女でしたので、もはや奉公はできがたいと思ったのでしょう、名超寺を抜け出して、北の方へ去り、姉川を超えたところの淵に身を沈めてしまいました。時に彼女は17歳でした。その後近くにつくられた彼女の墓が豊菊塚だということです。

住所

参考

・長浜の歴史 昭和49年