およそ(大戌亥)

名越町の東の山のふもとにあるお社(やしろ)は、後鳥羽神社といって、後鳥羽院をお祀(まつ)りしてあります。昔、この土地をこよなく愛され、長くお住まいになられた院にまつわるお話は、七岡山の美しさをほめたたえられたということをはじめ、いくつか残されていますが、ここに、その二つを紹介しましょう。 昔、大戌亥村に「およそ」という美しい女の人がいて、院の菜女(そばめ:側女)として、よくお仕えし、心からお尽し申し上げました。 院はことの外、彼女をお目にかけられ、愛されました。彼女は院より、菊一文字(きくいちもんじ)の名刀や、菊の絞りの羽織などを頂戴し、その上五十人もの家臣を養えるだけのお米を与えられる身分に、お引き立てに預かりました。 およそは、院よりいただいた数々の品々は、尊いものであるため、俗(ぞく)にいうおよそ屋敷にお納め申し上げたと語り伝えられています。今も町のお年寄りたちの間には、およそ祭りという言葉が伝えられて、その話が残されています。

住所

参考

・長浜市老人クラブ連合会「ながはまのむかし話」